読んだ目的
自分の日々の幸福度が落ちているように感じて、ヒントを得たかったため読みました。
かなり前に読んだことはあって、その時の感想は
- 「目的主義」「課題の分離」あたりはそうだなーと思った覚えがあった
- それを実践する話になっていくと、いまいちピンとこなくなってきて読了した
というものでした。
前半部分には共感できたので、後半もじっくり読めばなにかヒントあるかもなというのが今回の読み直しの目的です。
概要
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目的主義
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人は行動するとき何らかの目的を持って動いているという考え方
- 例えば引きこもりは(意識無意識はさておき)注視してもらいたい・人間関係の困りごとに向き合いたくないなどの目的でやっていることであり、環境的にしかたなくやっていることではない
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人は行動するとき何らかの目的を持って動いているという考え方
- 人間の課題はすべて人間関係
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自他の課題の分離
- 結果に対して自分が責任を持つ課題と、相手が責任を持つ課題を分離する
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相手の課題を気に病む必要はないし、また、相手の課題に土足に上がるべきではない
- 相手の課題を気に病む: 私がこういう行動をしたらあの人が怒るのではないか? => あの人がどう捉えるかはあの人の課題でどうしようもないこと
- 土足で上がる: 子供への「勉強しなさい」=> 子供が勉強の必要性やその結果と向き合うチャンスを奪っている
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アドラー心理学の人生の目標
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行動面
- 自立すること
- 社会と調和して暮らせること
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心理面
- 私には能力があるという意識
- 人々はわたしの仲間であるという意識
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行動面
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共同体感覚
- 他者が仲間に感じられ、自分の居場所を感じられる
- 共同体とは会社などの枠組みだけでなく国とか地球とか宇宙とかなんでも含まれる
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共同体感覚を得るためには
- 課題の分離(前述)
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横の関係
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上下ではなく、対等な関係を気づく
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褒める・叱るは相手の操作を目的とするので非推奨
- 他者の評価は上下の関係から出るもの
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課題を分離したまま援助を行う
- 感謝の言葉、喜びの感情、お礼の言葉など
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褒める・叱るは相手の操作を目的とするので非推奨
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横の関係か縦の関係のいずれかはライフスタイル
- この人とは横、この人とは縦とはならず、縦の関係を気づいている人は友人関係も縦
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上下ではなく、対等な関係を気づく
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幸福とは
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以下3つができると、自分が他者の役に立っていると感じて幸福になれる
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自己受容
- 自己肯定は自分に嘘や暗示をかける、自己受容は今の自分をそのまま受け入れる
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他者信頼
- 他者を信じるにあたっての一切の条件をつけないこと
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他者貢献
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自分が他者に何をできるかを考え実践する
- 目的は自分が貢献感を得るため
- 自分を犠牲にするわけではない
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例えば自分だけが洗い物をしていて、家族が手伝わないしお礼も言わない場合にも貢献に集中する
- 仲間だと思えているなら貢献感が持てる
- そうでないと「なぜ私だけが?」「なんでみんな手伝ってくれないの?」という発想 => 他者を敵とみなしている
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自分が他者に何をできるかを考え実践する
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自己受容
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以下3つができると、自分が他者の役に立っていると感じて幸福になれる
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「いま、ここ」を真剣に生きる
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到達すべき先の未来を目指すというのはまやかしであり、常に現時点で完結している
- 将来こうしたいから今できないといった言い訳は人生の嘘
- いま、ここに集中して生きるべき
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到達すべき先の未来を目指すというのはまやかしであり、常に現時点で完結している
感想
大枠の話は同意できた
目的主義的な話は、その通りだなと思いました
どういう育て方・環境であれ、現在していることの裏に目的があるというのはそうなのでしょう
課題の分離も受け入れられます。
7つの習慣でいう、関心の輪と影響の輪の部分でも同じことを言われていますよね。
このあたりは「そうだなー」という話で、逆に言えば目新しいわけでもないと感じました。
とはいえ、普段の考え方の習慣として大切だなと思うので、また忘れないように日々を過ごしたいと思いました
自立と社会調和の話にはいってくると、大筋は共感できるものの、実際の運用には困りそうだなという感覚があります。
シンプルに言えば、
「自分をありのままに受け入れて、他者を見下しも見上げもせずゼロベースで見ることができ、他者への貢献の仕方に集中できたら幸せですよね」
と読み取りました。
心理的には理解できますし、同意もできます。
今を真剣に生きろという話も共感します。
これができたら幸せになるみたいな話は良くなくて、日々の楽しさの積み重ねだよというのは、私も大事にしている価値観です。
他者信頼は現実的な運用に耐えうるのか?
他者信頼は、現実的にはそうできない部分も多くあるように思えます。
例えば仕事上、部下に対してここで言う完全な信頼「他者を信じるにあたっての一切の条件をつけないこと」は難しいでしょう
なぜなら、前段階の話として課題の分離が難しいからです。
本には、課題の所在の定義が「誰がその結果の責任を取るか」と書かれているのですが、
仕事の場合、部下の結果の責任は上司や会社も取ることになります。
アドラー心理学に則れば、部下を上に見ることも下に見ることもなく、彼の提案を信頼して任せてみるのが良いのでしょう
それをサポートはするものの、基本的には彼に権限を移譲して、彼の課題として動かしてもらうこと自意識が芽生えることでしょう。
一方で、現実的には、その結果はその部下の責任とするのではなく、チームや会社にも転嫁されます。
そのリスクを会社として上司として取るか判断するために、部下がある施策を提案してきたときには、施策がうまくいくのか、その人にその能力があるのか、投資に値するのかなどを考えるでしょう。
どうあがいても、その人の能力・過去の実績を測る(まさに縦の関係として)ことが必要になります。
また、書籍内の「哲人」には怒られそうですが、残念ながら声の大きいだけで内容が伴わない人は確実に存在しているというのが私の見解です。
これは信頼の問題ではなく、悪意なき無能というのが存在すると考えています。
他者信頼に関して書籍の中ではこうあります。
だまされて利用されることだってあるでしょう。しかし、ご自身が裏切った側の立場になって考えてください。あなたから裏切られてもなお、無条件に信じ続けてくれる人がいる。どんな仕打ちを受けても、信頼してくれる人がいる。そんな人に対して、あなたは何度も背信行為を働くことができますか?
心理的には理解できますし、基本姿勢には共感します。
100万円渡したときに、私利私欲のためにパチンコに使う人間はもしかすると改心するかもしれません。
ただ、100万円渡したときに、会社のためを思って増やす手段としてパチンコを選択する人は止めることができません。
悪意なく誤った手段を選ぶなんてことはいくらでもありえます。
他者から自分への介入を突き詰めるには鬼メンタルが必要そう
自己受容・他者信頼・他者貢献を実践すると幸せにたどり着けるという話で、
訓練は必要なものの、確かに自分から他者への交流は一定の効果はありそうに思いました。
しかし、他者からの介入に対して課題の分離を突き詰めるのは鬼のような精神力が必要ではないでしょうか。
現実世界では、「自分がどうあるか」だけでなく「(家族・同僚などから)どう期待されているか」がどうしても情報として入ってきます。
課題の分離によって、自分自身が怒ってしまいそうなところを収めることは考え方でできそうです。
他者からの介入を「課題の分離」として捉える、精神面でも本当にそう捉えて反応しなくするというのは、訓練で解決できる気がしませんでした。
もはや仙人の領域にさえ見えてきます。
次に繋げられそうなアクション
「今を大事に」「課題の分離」「他者貢献することが自己受容感につながるよね」あたりは改めて良いなと思いました。
本格的な遵守は難しいという話も書きましたが、思想面は吸収しながら、生活の中でできる部分を実践していくくらいの捉え方がちょうどよいと感じました。
